“Dear 未来の○○
元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?
きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。嬉しいぞ。
早速だけど、私はもう長くないみたい。仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。
薬もだいぶ変わったしね。
だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな?笑
いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。
その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。
○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。
私は大丈夫。向こうでイケメン見つけて恋するもんね!笑
そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。
○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~
私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな笑
生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!おばさん発想だな。
でもね、一つだけお願いがあります。
どうか私のことを忘れないで。どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。
私はもうお父さんもお母さんもいないから、、○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。
それだけが怖いんだ。
何回かというのはね、
付き合い始めた日、幕張のレストランに海。
一緒に行った夏の北海道、あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。
お棺にいれないでね、○○が持ってて。
○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、
実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ笑 卵焼き辛くて悪かったな
結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや笑
そして私の命日。多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。
この四つが私の思い出ランキングトップです!だから年四回でいいから思い出してね。お願いね。
○○が思い出してくれるとき、きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。
最後までわがままだね笑 ごめんなさい。
未来に向けて書くつもりが、なんかよくわかんなくなっちゃった。
だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!
さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。
時間かけて書くと長くなりそうなので、思いつきで書いたこの手紙で一発終了。
○○、今までありがとう。悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。
あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。幸せ過ぎてお腹いっぱいです。
もう悔いはないよ。
○○の幸せをずっとずっと見守ってます。
未来の○○の笑顔を思いながら
△△より

ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ”
“ じっと嘆きながら見つめていたら、
 瓦礫の山が片付くのなら、どんなにか楽だろう。
 徹夜で語り合っていれば、
 行方不明の人たちが見つかるのなら、
 どれほどうれしいだろう。
 しかし、そんなことはあるはずもないわけで、
 じっと嘆きながら立ちすくんでいたら、
 状況は何も好転しない。
 おそらく悪くなっていくばかりだった。

 誰かが、具体的に、その場面を変えていかねばならない。
 人々がおろおろしている時、
 すでに、現場には自衛隊がいた。
 何をするべきかをわかっている人々が、
 黙々とそのすべきことを続けていた。

 ありがとう、と思った。助けられた、と思った。
 手をこまねいているばかりだった人々からの、
 自衛隊への「ありがとう」のことばは、
 働いている隊員たちの背中にかけられた。

 彼らは、忙しくやるべきことをしていたので、
 お礼や応援のことばに、振り向くことさえしなかった。
 黙って、手を足を頭を、そして心を使っていた。
 
 たまに写真で見る隊員たちの表情は、
 若くて、しっかりしているけれど、
 幼さも残っているようにも見えた。
 誰かの息子であったり、誰かの夫であったり、
 だれかのおとうさんであったりする若い人たちは、
 被災の現場の人たちだけでなく、
 離れた場所でじぶんの無力と共にある
 ぼくらの心までも救ってくれたのだった。
 
 長い間、ずっと背中に向けて言うしかなかった
 心からのありがとうを、
 この場で、向き合って言えることを、
 ほんとうにうれしく思っています。
 言うことは、ただそれだけです。
 ほんとうに、ありがとう。

今日のダーリン - 今日のダーリン - 2011-05-29

自衛隊の人たちが読むフリーペーパーに、
糸井さんが寄稿した文章

(via nnddmmii)
“ 憧れと、角刈りは似てると呟きし僕に。
 お土産ともみあげも似てると答える君よ。
 君はいまの君のままくだらなく居て欲しい。
 ぼくもできるだけ頑張ってくだらなく居るから。”
“ いつも通り世の中には、善意も策略も、真実も嘘も、美しさも汚さも、混じっている。
 その中で、僕らは生きる。
 多くの僕らは、計算高く生きてはいない。
 多くの僕らは、自分に都合のいいように緊急時を利用しようとは、夢にも思わない。
 けれど、そういう人もいる。
 いるのが普通。
 後で幻滅しないように、そのことは思い出しておいた方がいい。

 その上で、だ。
 あふれる善意を信じたい。
 誰かを、普段より強く思いたい。
 涙をこらえて、強く抱きしめたい。
 言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。
 多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。きらきらと、亡くなる。
 その詩の中に、宣伝の言葉が入ってくるのなら、「あれって宣伝だ!」と叫んだ方がいい。
 その詩の中に、政治キャンペーンの言葉が入ってくるなら、「あれってキャンペーンじゃん」と見抜いた方がいい。”
“町に血が流れる時

 投資界に、「町に血が流れる時は買い時」という格言がある。ロッカフェラーが言ったとか、ロスチャイルドが言ったとか。
 よく「戦後の闇市で一財を築いた」などという表現も聞く。
 町に血が流れる、大混乱の時には、普段できないようなお金儲けができる、ということらしい。
 それは、僕らの今の社会の性質らしい。

 町に血が流れる時、多くの僕らは泣き、立ちすくみ、走り出し、座り込み、呆然とする。
 心配で眠れなくなる。疲れる。誰に向けたらいいのか、怒りがこみ上げる。気持ちが混乱する。後悔する。未来がわからなくなる。居座ろうと腹をくくる。でも、怖い。
 それは多くの僕らの、善意がこんがらがった気持ちだ。
 けれど、町は善意だけではできていない。
 善意に見えるものの裏に、何かがあることがある。
 善意とは関係ない、何かが。

 では、目にする善意を疑ってかかるのか? そんなことはできない。
 あふれる善意は圧倒的に輝き、それは僕ら自身だ。
 でも、その光の中で、巧みに動き回る影もある。
 強い光の中で、影も強くなる。

 だから、ちょっと気をつけていた方がいい。
 いま、いきなり世の中が、違う世の中になったわけではない。
 真実や嘘や、善意や策略や、何だかんだが入り混じった世の中だということは、いつもと変わらない。

 例えば、家族が病気になったとする。
 家族の一人は、ただ心配でつきっきりになるかもしれない。
 別の一人は、俺が稼いでやるからと、一生懸命働くかもしれない。
 別の一人は、落ち込んでいるだけかもしれない。
 病人に言うことも、一人一人違うだろう。
「だいじょうぶだよ」と慰める人もいれば、「まったく、だから煙草は止めろと言ったのに」と怒る人もいるだろう。
 その家族の中に、病人を理由に、自分にとって都合のいい方向に家族内の話を進める人がいても、おかしくはない。
 伊丹十三さんの映画「お葬式」のように、人の中に色々な思惑があるのは、緊急時も普段も、変わらない。
 以前から別荘を欲しがっている人は、「ほら、病人を休ませるために、静かな別荘が必要でしょう?」と、話を進めようとするかもしれない。
 以前から車を欲しがっている人は、「ほら、病人のために、車はやっぱり二台必要だよ」と、家族を説得しようとするかもしれない。
「あたしが警告していた通りじゃない。これからはあたしの言うことを聞いて…」と、家族内での発言力を高めようとする人もいるだろう。
 そのどれもが、僕らの普段の生活の縮図だ。
 それと同じように、社会の緊急時には、僕らの普段の社会の縮図が現れる。

 いつも通り世の中には、善意も策略も、真実も嘘も、美しさも汚さも、混じっている。
 その中で、僕らは生きる。
 多くの僕らは、計算高く生きてはいない。
 多くの僕らは、自分に都合のいいように緊急時を利用しようとは、夢にも思わない。
 けれど、そういう人もいる。
 いるのが普通。
 後で幻滅しないように、そのことは思い出しておいた方がいい。

 その上で、だ。
 あふれる善意を信じたい。
 誰かを、普段より強く思いたい。
 涙をこらえて、強く抱きしめたい。
 言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。
 多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。きらきらと、亡くなる。
 その詩の中に、宣伝の言葉が入ってくるのなら、「あれって宣伝だ!」と叫んだ方がいい。
 その詩の中に、政治キャンペーンの言葉が入ってくるなら、「あれってキャンペーンじゃん」と見抜いた方がいい。

 緊急時に現れるのが社会の縮図なら、これが最後ではない緊急時を助けるには、縮図のもとになる社会をどうするかということになる。
 縮図のもとになる社会をどうするか。
 つまり、例えば湿疹が出た時、塗り薬を塗って治すことはできる。けれど本当は、湿疹のもとになっている、大きな原因があるのかもしれない。
 そういう話。
 でもそれって、緊急時にする話なのか? とも思う。
「でも緊急時は、人が社会のことを考えるきっかけになるから、利用しないと」と言う人もいる。
 確かに、病気をきっかけに自分の生活のあり方を考え直す人がいるように、緊急時をきっかけに社会のあり方を問いはじめる人もいる。
 わかる。それは自然だ。
 でも、利用って。
 町に血が流れる時を利用するって、それ…。
 多くの僕らには、それはできない。
 けれど、いつも通り、判断は時と場合によって違うだろう。

 強い光の中で、影も強くなる。
 善意に見えるものが策略だったり、悪意に見えるものが真実だったり、賢く見えるものが阿呆で、阿呆が賢かったり。
 でも、それは、いつもの世の中と同じ。

 一つ、大空のように見える。

 おおぜいの人の苦難は、おおぜいの人が助ける。
 すぐに去る苦難ではないけれど。
 おおぜいの人が動く。ほとんどは、美しい詩のように動く。
 動く。回る。走る。止まる。方向を変える。
 気をつけながら。


メキシコシティーにて、4月11日
小沢健二

*投資界の格言”The way to make money is to buy when blood is running in the streets.”など