“男 「隣、空いてますか?」
女 「ええ、空いてます。あなたがそこへ座ったら、私の席も空きます」男 「どこかでお会いしませんでしたか?」
女 「ええ会いました。だから二度と会わないように隠れてたのに」男 「僕の部屋へ行く?それともきみの部屋?」
女 「2つともよ。あなたはあなたの部屋へ。私は私の部屋へ」男 「夜明けのコーヒー、いっしょに飲もうよ」
”
女 「いいわよ。じゃあ明日、午前4時に駅前で待ち合わせしましょう」
“タモリが言ってた話なんだけど、
家族で高級レストランに行った時に、お父さんがカレーを注文した。
”
ウエイターさんが、「中辛、大辛、それから 激辛 がございますが?」
と聞くとお父さんは「じゃぁ、“それから”にして下さい」と
言ったんだって。
“廊下の向こうから課長がVサインをしながら
こっちに向かってきたので
お茶目な人だなぁ、と思ってこっちもVサインを返した。
課長「よし、残業二時間ね」”
“ おおぜいの人の前に出たときなど、
ついネガティブな反応の人を意識してしまいます。
なにかを説明しなきゃならない場面だとか、
こころを揃えなきゃいけないときでも、
「どうかな?それは‥‥」というような、
疑いの視線が気になってしまうものです。
若いときには、プレゼンテーションの場面なんかでも、
反対しそうな人とばかりやりとりしてしまいました。
なんでしょうかねぇ、こういう傾向って。
全員が納得することなんかありえないのにねぇ。
視線を、ネガティブなほうに集中して向けてしまうと、
せっかくよろこんでくれていた人の側が、
逆においてけぼりをくわされちゃうんですよね。
よく冗談で言われる、
「今日も遅刻して、まだ来てない者がいる!」と、
遅刻してきてない人たちに怒ってるようなことって、
けっこうありがちなんですよね。”
“ ぼくの考える「もてなし」というものは、
ひとつは「ディズニー」から、
もうひとつは「アマン」に学ぼうとしています。
まだまだ、ずいぶん遠いんですけれどね。
でも、「ここまでできる」というモデルとして、
その高さを意識していたいチームなのです。”
“もうね、どこまで話してOKで、どっからアウトなのかって、俺のさじ加減じゃないすか。そのへん曖昧だから、「いろいろあって」とか言ってしまったけど、だいたいの映画は色々ありますからね。っつか色々なかったら映画にならんわ。”
“映画をね、見たんです。「八日目の蝉」っていうのを。こないだ飛行機に乗った時にあまりにもヒマで、嫁に借りて小説読んだらおもしろかったので、映画見に行ったんすけどね。
って話を飲み会で先輩に話したところ「あ、私もそれみたい。ネタバレしないように内容を教えてよ!」と。いやいやいや、そんなん無理でしょ。口以外でモノを食べてよ!ってくらい無理でしょ。
”
“ 言いたいことがある。
だから、それを手を使って表現する。
その手を、相手が見ていなければ、
ことばは伝わらないのだけれど、子どもは話す。
たぶん、相手の目にとまらず伝わらなかったことは、
毎日毎時間、数知れずあるのだと思います。
音のない教室で、沈黙が腕や手からあふれ出して、
にぎやかなおしゃべりが続いている。
そんなふうにも見える美術の授業でした。
そこには、ことばの、根がたしかにあった。
そして、ことばで人に関わるということは、
うれしくてしょうがないことなんですね。”
“高校のとき、冬休みになる少し前の数学の授業で。
急に腹が痛くなって机の上につっぷしてしたら、先生に
「おい、なに寝てるんだ!」と怒られて、
「罰としてこの問題解いてこい。年明けの授業まで待ってやる。」と言われた。
その問題がとても難しく、手の付けようもなかった。
正月。あまり話したこともない、頭の良いA君から年賀状が来た。しかも2枚!
そこには、数学の解答がぎっしりと書かれていた。
2枚目の終わりに、つけたしたみたいな小さな文字で
『これ黒板に書いといてやれ。あけましておめでとう』とあった。
年明けの数学の時間に、A君の解答を黒板いっぱいに書いた。
先生は、まさか本当に書くと思っていなかったのか、
すごく驚いていたが、解答にマルをくれた。
授業後にA君にお礼を言うと、
「うわ、いや、ゴメン、勝手に住所とか調べて……。」
と、なぜかあせっていた。(話すのは苦手らしい)
ありがとう、A君。”
“ ちなみに、国民総幸福量(GNH)の国だから、
みんながにこにこしてると思ったらまちがいです。
ぼくの見たところでは、あんまり笑ってない。
いや、機嫌がわるいというのではないと思うけど、
「表情的に無口」というふうな感じです。
他の人に笑いかけて関係を良好にしよう、
というコミュニケーションをする意味が、
ないのかもしれませんね。”