“川の堤防ぞいで夕方
子供が一人で歩いてて、いきなり立ち止まった
そんでいきなり川の方に向かって
「おかあさーん!」
って叫んだ
なんか一瞬でぎゅうって胸が痛くなって
子供はおかあさぁん、って何度も叫び続けてるし
うわぁやめてこれどうしたらいいの泣いたらいいの
喪女は子供に声かけていいの誰か!とか思ってたら
凄い遠くから「なーにー?」川向こうのマンションのベランダから手を振る女性orz
子「おかあさーん!きょうのばんごはんなにー?」
母「今日はー、カレー!」(聞こえ難い)
子「おれダッシュで帰るからなー!」子供はカレーカレー歌いながら走ってった
”
喪女の後ろの高校生も、「おかんおらん子かと思った」
「嫌がらんかったら肉まんでも買ったろおもてたのに」
「すげー悲しかったのに」「畜生」「おかんおってよかった」
とブツクサ言いながら笑ってた
“私の場合、特異なともだち関係として
5歳か10歳年上の女性とのつきあいがありました。
ところは花のヴェローナにて、ではなく、ヤサグレ者たちがたむろする新宿は歌舞伎町。
20年前はまさにエロから発するエネルギーに満ち溢れた街でした。
当時流行しはじめたお見合いパブでかわいい女の子に引っかけられ、
「お姉さんがいるから」と連れて行かれたのが、歌舞伎町の裏の裏の場末の店。
扉をあけると、上から下まで部屋中真っ赤っかな装飾のうえ、出てきたお姉さんは
女の子とまったく似ても似つかない顔です。席ではへべれけに酔ったおじさんが
新しく封を切ったウイスキーを無理やり飲まされています。
時間が早いからいっぱいだけ飲んでって、とお姉さんに頼まれましたが
多摩育ちの田舎者にも、このやばさが察せられないはずはありません。
青ざめた私に、ささっと寄り添い、「あんたいくらもってるの」と
財布をのぞきこむや、声高に「このこオールで5000円ね!」と助けてくれたのが
くだんの女性です。体格がよく、顔は川谷拓三似。太った川谷さん(仮)です。
しゃくれた顎からはやや息がぬけた女っぷりのよい言葉がでてきます。
その日から、かわいい女の子抜きでも、この危険な店の常連となりました。
いつ行っても、いくら飲んでも5000円です。
川谷さん(仮)が店を異動するたびに、私は新しい店に顔をだしました。
月末には「なんとか来て頂戴」と泣きつかれたこともありましたが、
これも友情の証とばかりに足を運びます。
店を持つのが夢だった彼女は、ついに焼き肉屋を開きました。
しかしやくざものに乗りこまれ、一度だけ私に金を借りに来ましたが、
いつしか消息不明となりました。
地方の役場から職場に電話がかかってきたのは数年後のことです。
彼女は旅館で仲居さんとして働いていたのですが、心臓を病み急死したのです。
残された手帳には、生き別れた娘さんと私の電話番号だけが記されていたそうです。
私は仕事中にもかかわらず、顔を覆って泣きました。
電話口からは「娘さんが引き取りを拒んでいますが、どうされますか?」と
役場のひとの声が聞こえます。私はひと言、声を発することさえできませんでした。
私に何かできたでしょうか。できたはずもありません。
しかし、東京を去った後、一度でも話ができていたら、と思うのです。
せめて愚痴を聞いてあげるのが、ともだちとしての
唯一の役目だったような気がします。”
“小学生のころ、
ランドセルから筆箱出したら
テレビのリモコンやったときの
恥ずかしさったらなかったですよ。
”
“小学生…あの頃はいつも命がけだった。根拠のないことをいうと「命賭ける?」と聞かれるし、何時何分何秒地球が何回まわったときかを常に把握していなければならなかった。しかし、一生のお願いは何度でも使用可能だった。”
“毎年帰省で乗るフェリーに餌目当てで大量のカモメがたかってきてて、
船内で餌も売っててカモメの餌やりが名物になってるんだけど、
一回片足の無いカモメを見かけた事がある。
小さい子とかが
「あのカモメ足無いよ、怪我してるのかな?可哀相」
と言って片足カモメにばかり餌を投げてたんだけど、
暫くしたらそいつは羽毛の中に折り畳んで隠していたらしい片足をペロッと出して、
見せつけるように堂々と旋回して去っていった。
子供達はポカーンとしたり「騙された……」と呟いていて、
大人達は爆笑するやら感心するやらだった。”
“まだ子供のころ、親とはぐれたらしい手の平にのるくらいの小さい黒猫
親がいないので草ばかり食って緑のうんこばっかしてたな、最初は
大人になったらとんでもなくでかくなって家族みんなでビビる(デブという意味ではない)。膝の上に乗られた日にゃ江戸時代の拷問(石抱き刑)のつらさ。
家族にだけはなつっこく、甘えんぼで、眠い時に尻をポンポンしてもらわないと中々寝ないアホ猫だった。人に尻を向けて「さあ、撫でれ」と座り込む奴。くっ
お互い目があって、なんとなく甘えたい感じの時(目がうっとりしてゴロゴロ言い出したころ)、猫のほっぺに自分のほっぺをくっつけて、そのまま静かにじっとしてたり、その流れでゆっくり頬擦りしたりしたなあ。しっぽのつけねから先っぽまで、裏側を指ですーっとすべらせると、しっぽの先っぽでこっちの手の平をトントンとしてくれたり。しっぽの先っぽでトントンされるのが凄い好きだったなあ。フワフワしてて、妖精さんのノック?とか思った(恥ずい)。
声を出さずに(アーン)て鳴いたり、だっこすると前足をこっちのアゴにそっとあててきたり(肉球がああああ)、ああ…お前が死んでもう10年だが
お前の仕草を今でもたくさん覚えているのだよ、チビ猫やい。”
“ 大学は建築学科に進んだのだが、それもコルビュジェの書く詩的な文章とデザインへの憧憬で、ゴダールに近い感覚だった。建築家の書く文章はとにかく高校生にとって難解だった。だが、それが魅力的で美しかった。彼のつくる建築をより美しいものに見せていたかもしれない。三島や谷崎などの日本文学に関してもデュシャンやウォーホルなどのアートに関しても同じだった気がする。
「意味の分からないけれど魅力的なもの」との出会いにあふれていたのが高校時代で、今も、そんな出会いをしたいと思う。でもほんと、減ってきたなあ。
そして、本音で欲を言えば、意味の分からないけれど魅力的なものを制作者としてつくってみたいとも思っている。
もちろん、ゴダールにはなれないけれど。”
“学生の頃から長い事付き合ってた彼女がいた。
俺が就職したので遠距離になったんだが、その二年後彼女は男を作って俺を振った。
別れてから半年、元彼女は就職活動で上京してきた。
そして、俺の部屋に来た。俺の部屋の合鍵を返す為に。
俺は最後の別れになるので、精一杯神経を注いで一杯のコーヒーを淹れた。
振られた悔しさや、未練、それとは別に今までの感謝と、別れの気持ちを込めて。
落としてる間、涙が流れてきた。
何とか泣き止んで、落としたコーヒーを彼女に渡す。
しかし彼女は飲まなかった。
合鍵を受け取り、見送る。振り向きもしない彼女。
部屋に戻ったら俺の淹れたコーヒーはもうとっくに冷めていた。
カップを掴み、泣きながら一気に飲み干した26の春。”
“解禁当初の湖であんまし寒いんで一斗缶で焚き火してたら
監視員が来て焚き火は禁止って言われた
近くにいた釣り人が直火じゃなきゃいいじゃないかと
はなしに加わって、その人の仲間も2人きて監視員がもうひとり来て
防火のためとか地面に跡がのこらなきゃいいじゃないか?とか6人で
話してたが、なんでみんな俺の焚き火に手かざしてんの?????”
“俺モスでトレイを手にしたまま派手に転んだことがある
可愛らしい店員さんが飛んできて「大丈夫でしたかっ? 受身は取れましたか?
お怪我はございませんか? 受身は取れましたか?」ってなぜだか
俺より店員さんが混乱してて、やたら受身の有無について聞かれて困った”